2019年に話題となったブレイディみかこさんの著書「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
イギリスで生活する著者と息子が、通う学校での出来事を通してジェンダーや人種差別などの問題と向き合う姿が反響を呼びましたね。
そんなブレイディみかこさんの2021年夏の新刊がこの記事で紹介する「他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ」
帯には前作の「大人の続編」と紹介されていますが、著者は冒頭で以下のようにも語っています。
これは『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の副読本とも言える。
そんな1冊をご紹介したいと思います。
本のテーマは「エンパシー」
前作『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でわずかに語られた言葉「エンパシー」。
本の中の一つの章に、たった4ページだけ登場する言葉が独り歩きを始め、多くの人々がそれについて語り合うようになったのだ。
それは「エンパシー」という言葉だった。
エンパシーというと、「共感」という和訳を思い浮かべる人も多いと思いますが、そうではないエンパシーもあると、著者のブレイディみかこさんは語っています。
前作でさわりの部分だけを触れた「エンパシー」という言葉について掘り下げているのがこの1冊だと思います。
サッチャー元首相の政治に見るシンパシーとエンパシーの違い
イギリス初の女性首相だったマーガレット・サッチャー時代の政治を例に、この本ではシンパシーとエンパシーの違いについて書かれている章があります。
「She was sympathetic, but not empathetic(彼女は、シンパシーのある人だったが、エンパシーのある人ではなかった)」
シンパシーとエンパシー、どちらも日本語の翻訳では「共感」と出てきますよね。2つの言葉のニュアンスの違いがサッチャー政治になぞらえて説明されているのでとても分かりやすい章です。
コロナ、Brexit、現代の問題からエンパシーを紐解く
著者のブレイディみかこさんは家族とともにイギリスで生活をしていますが、イギリスのEU脱退(Brexit)にコロナウィルス感染症のまん延と、取り巻く環境は日本以上に難しいものだと思います。
そんな中で、1人世帯や夫婦だけで暮らす老人たちに定期的に電話を入れて雑談するグループが立ち上がったり、自主隔離する人たちに変わって食料を買い出しに行くグループが結成されたりと近所間での相互扶助が描かれています。
コロナ禍におけるこうした助け合いが、エンパシーある社会の一端ではないかと書かれていて、「自助・公助・共助」が語られた日本と対比されている点も読んでいて考えさせられるテーマです。
エンパシーにはアナーキーをセットとする
このテーマこそがこの本のメインテーマではないかと私は読んでいて思いました。
エンパシー自体は、他者への同情や、他者の視点から物事を見ることです。
一方で、エンパシーに長ける人は、「パワフルな対象に支配されやすいのだ。(本文より)」と書かれる通り、他者に自分を明け渡してしまうことにもなりかねない点が挙げられています。
自分の意見を持ちつつ他者への理解を深める、それらを両立するための思考としてこの本では繰り返しアナーキーを取り入れています。
アナーキーは、無政府状態と和訳されることが多いですが、元々の意味は指導者がいない状態を表しています。
アナーキーをセットとしてエンパシーを持つことについて、本文では次のように語られています。
アナーキー(あらゆる支配への拒否)という軸をしっかりとぶち込まなければ、エンパシーは知らぬ間に毒性のあるものに変わってしまうかもしれないからだ。両者はセットでなければ、エンパシーそれだけでは闇落ちする可能性があるのだ。
続々新刊!「 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2」も登場
この記事でご紹介した「他者の靴を履く」、難しい1冊でした。
ようやく読了できたと思ってこの記事を書き始めてみると、なんと新刊が出ていました。
「他者の靴を履く」がブレイディさんの視点から描かれていましたが、新刊「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2」ではあらすじを読む限り、13歳になった息子さんの視点で描かれているようです。
ちょっと休憩したら、チャレンジしてみようと思います。
まとめ:まさに大人の続編本。読み返しても新たな発見がありそうな1冊
とても難しい1冊でした。
イギリスの政治背景なども書かれていて、教養の意味でも勉強になることが多いと思います。
この記事を書くにあたり、改めて読み返してみましたが、新たな発見や最初にはわからなかったポイントが見えた気がします。
ちょっと難しい1冊を探している人は、書店で手に取ってみてはいかがでしょうか。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


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