山岳小説を多く残してきた作家に新田次郎さんという方がいます。
この記事では、その中でも有名な小説「孤高の人」をご紹介します。
【この記事を書いた人】
- 2021年10月ブログ開始。記事執筆数100本以上。
- サラリーマン。時々、ブロガー活動。
- 登山は日帰り~山小屋泊まで。富士山経験あり。
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作者・新田次郎さんは元気象庁職員
作者は大正から昭和を生きた新田次郎さん。
現在の電気通信大学を卒業後に、気象庁(当時は中央気象台)に勤めていました。
在職中は、富士山山頂の気象観測所に勤務していた経験があります。
戦時中には満州の気象台に赴任し、この頃から執筆活動をしていたと言われています。
「孤高の人」をはじめ、山岳小説や山に挑戦する人を描いた人間ドラマを手掛けていることで有名ですが、
時代小説も手掛け、「武田信玄」は大河ドラマの原作にもなりました。
主人公は実在の人物
孤高の人の主人公は、大正~昭和初期を生きた実在の人物、加藤文太郎さん。
小説の中で語られる山のエピソードの多くは、実際に加藤さんが達成した単独行の記録です。
小説の途中で描かれる真冬の富士山登頂のエピソードでは、
富士山の気象観測所の観測員との話が描かれています。
これは作者である新田次郎さんの体験によるもの。
新田さんは気象庁の観測員として、富士山気象台に交代勤務の経験があり、
交代のための山行で加藤さんと出会った経験があるとされています。
また、小説「孤高の人」を実名で執筆したのは、加藤さんの妻、花子さんからの勧めによるもの。
花子さんから「ぜひ実名に」とコメントがあったことで、
ノンフィクション小説として誕生しました。
テーマは単独行
単独行とは、文字通り山へ一人で登ることです。
加藤さんの生きた1930年代は、まだ国内の冬山登山が盛んではない頃。
登るとしても、2人以上でパーティーを組んで登るのが常識の時代です。
この時代に加藤さんは厳寒の槍ヶ岳など、北アルプスの山々を踏破し、
その記録を自らの日誌に残していました。
加藤さんの没後に、残された日誌などが遺稿集「単独行」として
刊行されています。
世相も反映された人間ドラマ
登山は大学山岳会が牽引
1930年代、日本国内の登山をけん引していたのは大学の山岳会でした。
山行には、必ず現地のガイドを依頼し、
冬に登るならば、夏~秋シーズンのうちに下見や食料の持ち込みをしておく。
とにかく、お金と時間を潤沢に使える人たちだけの趣味だったのです。
今でこそ、鉄道やバスの発達で1時間程度で行ける登山口も
かつては1日がかりでした。
例えば、北アルプスの玄関口として知られる長野県の上高地。
現在は、松本駅から鉄道とバスで2時間弱ですが、
「孤高の人」の中では、1日がかりだったと描かれています。
会社勤めにとっては、登山口と市街との往復だけで2~3日がかかり、
とても難しい時代だったことがうかがい知れます。
太平洋戦争に向かう日本が舞台
「孤高の人」の中で、加藤さんが勤めている神港造船所は、
現在の三菱重工業 神戸造船所と言われています。
太平洋戦争へと進む中で、海軍技官との話や、船のエンジン開発の話題などが
エピソードとして登場します。
特別警察による主義者狩りなど、世相を反映した描写が多く感じられる小説です。
じっくりと、繰り返し読みたい1冊
小説「孤高の人」は色々な切り口で読める小説です。
近代の歴史小説であり、山岳小説であり、また人間ドラマの小説とも言えます。
じっくりと時間をかけて、繰り返し読むことで新たな発見があると思いますよ。
この記事は以上です。
お読みいただきありがとうございました。
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