あなたは「日本人の登山家」と聞かれて、誰を思い浮かべますか。
20代で世界七大陸の最高峰を制覇した、野口健さんを思い浮かべる人も多いと思います。
そんな野口健さんが登山を志したのは、1人の日本人冒険家、植村直己さんの活躍を見てからと言われています。
この記事では、冒険家・植村直己さんが単独で犬ぞりを操って北極点、そしてグリーンランド島を縦断した時の日記「北極点グリーンランド単独行」をご紹介します。
冒険家・植村直己さんによる挑戦記
植村直己さんは兵庫県出身の冒険家・登山家。
亡くなって40年近くになりますが、その冒険歴は今なお語り継がれています。
1970年に世界で最も高い山、エベレストに日本人で初めて登頂すると、
同じく1970年には、次の5つの山の登頂に成功しました。
- モンブラン (ヨーロッパ大陸)
- キリマンジャロ (アフリカ大陸)
- アコンカグア (南アメリカ大陸)
- エベレスト (アジア大陸)
- マッキンリー (北アメリカ大陸)
この5つの山は各大陸でもっとも高い山で、五大陸最高峰をすべて踏破したのは世界初、植村さんが29歳の時です。
五大陸制覇の後、植村さんがこだわったのが単独行。
当時、エベレストへ登る登山家や冒険にでかける冒険家は、複数人でパーティーを組むことが一般的でした。
植村さんは飛行機での物資の支援などは受けながらも、あくまで単独での行動にこだわり、世界初の偉業を達成していきます。
1978年には、世界で初めて、犬ぞりを使った単独行で北極点に到達。
さらに、1984年には北アメリカ大陸最高峰のマッキンリーに、冬場としては世界初の単独登頂を達成しました。
しかし、このマッキンリー踏破の下山中に無線で交信したのを最後に消息不明に。
現在も今なお、発見されていません。
とてつもない体力で道を切り開いていく
植村さんの北極点単独行は、犬ぞりの準備から始まっています。
出発地のカナダ最北端・コロンビア岬に入る前に、グリーンランドのカナック村へ赴き、犬ぞり製作を職人にお願いします。
この犬ぞりの設計図も植村さん自身が引いたもので、細部にも安全性にこだわった工夫がちりばめられています。
次はそりを引く犬として、シベリアンハスキー犬をイヌイットの人々から買います。
同じ時期に日本大学の山岳部をはじめ、複数の冒険家たちが北極点到達を目指していたことで、カナック村の多くのシベリアンハスキーは既に買われたあと。
身体が小柄だったり、やせ細っている犬が多い中で、植村さんは北極点に向けて出発します。
カナダのコロンビア岬から北極点までは、一言で言えば凍った海面がつながっています。
しかし、きれいな氷の面が続くわけではありません。

海岸線の近くは、流氷どうしの衝突によってできた無数の氷丘が並び、まっすぐに犬ぞりが走れません。
植村さんはイヌイットが「トウ」と呼ぶ長い鉄棒を振るって、犬ぞりが進めるルートを切り開いていきます。

途中には氷が裂けて、海面が見えている場所さえあります。
少しでも身体が濡れれば、凍傷や低体温症で命にもかかわる危険な環境で、体力と同時に集中力も求められる状況。
犬ぞりの準備から、出発後も困難を極める単独行まで。とてつもない体力で道を切り拓いていく植村さんの日記には、1つ1つの言葉に力があります。
植村さんの心を支えるのは、周囲の人々への感謝
単独行という挑戦でありながら、植村さんの心には常に周囲の人々への感謝がありました。
私としても、身を粉にし、凍傷にも負けずにやっているが、これを自分一人の力でやっているというような気持は毛頭ない。またかりにそういう気持だったら、とっくに音を上げて引き返していたことだろう。毎日の厳しい行動に耐えていられるのは、資金面で協力してくれた人、必要な技術や知識を与えてくれた人、さまざまな形で私を励ましてくれた人、その人たちの心と私の心が結ばれていると思って疑わないからだ。
「氷島からの脱出 四月十四日」より
自分が「これをやりたい」と思う力の強さは偉大です。
ただ、困難が生じた時に「自分がやりたいこと」を続けられるかは、また別です。
それまでに支えてくれた人、助けてくれた人への感謝や、「何かしら報いたい」という思いもまた、困難を乗り越える原動力になる、と私は思います。
こうした思いを胸に、悪天候や険しい乱氷に阻まれた道を乗り越えて、1978年4月29日、北極点に到達します。
犬ぞりによる単独行としては、世界初の偉業でした。
同誌にグリーンランド縦断記も収録
今回ご紹介している「北極点グリーンランド単独行」は、前半に北極点までの単独行、そして後半には同年にチャレンジしたグリーンランド縦断記が収録されています。
当時のグリーンランドはデンマークの自治領。
グリーンランド縦断は当時は史上初の挑戦で、デンマーク政府もあまりに過酷で困難なことから、探検許可が中々おりなかったと言います。
植村さんは本書の中で、当時のデンマーク駐在日本大使、橘正忠さんの奔走によってグリーンランド縦断の冒険ができたと述懐されています。
そして驚くべきは、この北極点単独行も、グリーンランド単独縦断も、植村さんの本来の夢であった「南極大陸単独縦断のための訓練」だったということ。
訓練として世界初の偉業を重ねてきた植村さんの行動力、そしてとてつもない体力に、読了してから改めて驚かされます。
まとめ:挑戦するすべての人たちへ送りたい1冊
この記事では、冒険家・植村直己さんの単独行を実録した1冊「北極点グリーンランド単独行」をご紹介しました。
今、何かに挑戦するすべての人たちへ、支えてくれるすべての人たちへの感謝と何か報いたいという思いを原動力に挑戦が成就することを願っています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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